法光院 銀雪(ほうこういん ぎんゆき)さんは、うちのクラスのお嬢様だ。北欧系のハーフで容姿端麗、成績優秀、運動能力も抜群で人柄もいい。取り巻きみたいなのは作らずに友人関係もうまくやっているところを見ると、おそらくそういう教育を受けてきたのだろう。俺も、彼女を見て羨ましいとか妬ましいとかを感じず、素直にすてきだと感じられる。
「百々(ももひゃく)、なーに見てんだっ!」
「うお、びっくりした」
銀雪さんではない。こいつは俺の友人の袴田 A男(はかまだ えーお)だ。A男は実名だ。A男が急に後ろから背中を叩いてきたのだ。おそらくはからかうために。
「銀雪さんだな?2学期は美化委員をやるつもりみたいだぞ」
「いや、聞いてないよ……」
聞いてない、といいつつ銀雪さんと一緒に掃除道具の手入れをする時間に思いを馳せてしまう。いや、いや、と軽く頭を振ってごまかす。
「俺はもう英語科係をやることにしたから、関係ないよ」
自分でも言い訳じみた返答だと思う。
「ふ~ん?」
A男はニヤついて席に戻る。学活の時間だ。今日は委員と係を決める。俺は宣言通り英語科係に挙手をする。しかしほかに挙手している人はいないようだ。どこかの係に集中してるみたいだな。あとでじゃんけんして負けた人が俺と一緒に英語科係というわけだ。しばらくぼーっとすることにする。
「では、わたくしは英語科係にいたしますわ」
分解したシャーペンの再構成の手が止まる。美化委員の争奪戦に銀雪さんは遠慮したらしい。細かなことでも争いを避ける銀雪さんらしいが、そんなことよりも。
今、銀雪さん、こっちを見て微笑まなかったか?
全身の血管がきゅうっとなる感覚とともに、よくわからないなにかを期待してしまう。だめだ、これは銀雪さんの処世術の術中である!勘違いしないように、平然と、平然と。
数日が経った。僕たちは順調に係の活動ができている。40人分のノートを20と20に分け二人で職員室まで運ぶ。行きと帰りに少しだけ話をする。この時間は、自分にとってかけがえのない時間だ。
「へえ、法光院さんの家にはイグアナがいるんだ、すごいね」
「そうですのよ、とても人懐っこいのですわ」
「え?爬虫類って懐かないイメージ強いけどな」
「ここだけの話、わたくしの家にいるのはヤマトイグアナという珍しい種なのですわ。ほかの爬虫類とは気質が少し違うのですわ」
そんなのがいるのか。見てみたいな。言葉にしかけて引っ込める。そしてさっきの半分の純粋な気持ちで言葉にする。
「見てみたいな」
「では、ご招待いたしますわ!」
通った。しかも社交辞令的な返し方じゃないだろ?これ。
「ちょうど一週間後の授業後に、お屋敷にいらして……いえ、迎えに来させますわ!」
法光院さんは目を輝かせている。ペットの話がしたくてたまらない様子だ。嬉しいが、もし彼女の家でなにか粗相をしたらおそらく一発でこの関係はなくなるだろう。覚悟を決める。
「ありがとう。服は制服のままでいいよな?」
「もちろん構いませんわよ」
そうして俺は救済の預言のような、時限爆弾のような約束を取り付けることに成功した。
約束の日。時間があったので一度家に帰って身支度をする。制服の内側に消臭剤を連射し、櫛を髪に何度か通し、マナーをまとめたサイトを見て、また学校の校門へ向かう。正直言って、何したらいいかわからない。もう祈る。そうしているうちに、長くて黒いうなぎのような車が、にゅるにゅると校門に横付けしてきた。停まると車はやはり固体なところをみると、運転手のドライビングテクニックが先の動きを可能にしていたのだろう。外国人っぽい運転手の若い男性が降りてこちらに来る。
「私、お嬢様の執事のベンノと申します。百々 鎌足様ですね。お嬢様がお屋敷にてお待ちです。」
「あ、はい」
どうぞ、と促されるままに車に乗る。新車みたいな革っぽい香りがかすかにする。発車して大通りに出ると、ベンノさんが話しかけてくる。
「お嬢様からお話は伺っております。今日はお嬢様お気に入りのイグアナ、イェルハルドをご覧になられるとか」
「そ、そうです、ね」
「緊張してますか?」
「はい……とても」
「大丈夫ですよ、お屋敷でも普通の家庭でも、マナーは大して変わりません。お嬢様がご学友をお屋敷に招待するのも初めてではありませんから、どうぞリラックスしてくだださい」
「あ、ありがとうございます……」
「しかし男の子を招くのは初めてのことです、よほど気に入られたのでしょうね?ふふふ」
「あっ、えへへ……」
「今のうちに聞いておきたいことがあれば遠慮なく質問をしてくださいね」
ベンノさんはおそらくいい人だ。声のトーンでなんとなくわかる。質問も考えられるほどには緊張が解けてきた。イグアナの、イェルハルドの性別とか注意点なんかを聞いた。
そうしているうちに、屋敷に着いた。運転手にドアを開けてもらうのを待つのが正しいマナーだと思い出して少し待つ。ドアが開くと、外の空気とともに太陽光がなだれ込んでくる。その光をくぐって外へ出ると、目の前には和風の巨大な邸宅があった。手入れの行き届いた木々、えげつない量の玉砂利、全景を明らかにしないような工夫がされているようだが、庭のさまだけでその巨大さを悟ってしまう。絶対中庭とかあるやつだ。
「お嬢様の御父上である旦那様がいらっしゃいますので、ご挨拶をするとよいでしょう」
ベンノさんについていく。玄関の戸を開けてもらうと、銀雪さんが奥からひょこりと現れる。別に何も期待してはないが、まだ制服だ。
「いらしたのね」
「お邪魔します」
「お父様が百々君に会いたいって言ってましたわ。早速ですけれど、ついてきてくださいまし」
学校ではしゃなりしゃなりという雰囲気の動きだが、ここではひょこひょこという感じなのは、ここが彼女にとってとても気の許せる場所だということを表しているのだろう。率直に言って、かわいい。
大河ドラマか旅館で見るような構造をしている屋敷に、金髪碧眼の彼女が似合わない。でも彼女の生まれ育ちはここだから、精神面は馴染んでいるのだな。
「お父様、入りますわよ」
「お、もう来たのか、ハハ」
銀雪さんのお父さん、法光院 大二(ほうこういん だいじ)である。正直何やってるかわからない企業グループの正直何やってるのかわからない肩書の、とにかく偉くて重要な人、としか調べられなかった。
「初めまして、こんにちは、百々 鎌足と申します」
「ん、まあ硬くならんでいい、君のことは銀雪からよく聞いている。ゆっくりしていけ」
「じゃあ行きますわね」
戸を開けてから出て閉じるまで一分とかからなかった。もうこれで挨拶完了らしい。思いのほか彼女のお父さんはサッパリとした性格なのか。
「お父様はね、一言会話しただけでその人の人柄から技能までわかるというのよ。その力で財を成したり、お母様を口説き落としたそうなの」
銀雪さんから小声でTipsをもらう。もう、俺は見抜かれたということか。恐ろしくなって震える。あの人の権能はいまここにあるすべてのものが保証している。すなわち、この濃い色の柱が、青と白のでかい壺が、湾曲した松が、自分でもわからない俺の下品な欲望を見抜いているのだ。
銀雪さんは関係なくルンルンでペットルームに案内してくれる。この一室すべてがイェルハルドくんのためにあるらしい。壁の高いところに賞状のようなものがかけられているが、聞くとどうやらそうではなくヤマトイグアナを飼うための自治体の許可証だと銀雪さんは解説してくれる。
ヤマトイグアナの生態解説も、まるで動物園の飼育員のように詳しく説明してくれ、さらにイェルハルドくんの特技とかについても愛情をもって説明してくれた。珍しい動物ということもあり、思わず聞き入ってしまう。
当のイェルハルドくんは植木鉢を半分にした簡素な隠れ家でじっとしている。外には楽しそうなおもちゃがいくらでもあるのに。
「普段はこの辺のおもちゃで遊ぶの?」
「そうですわ。でも一度にそう長くは遊びませんのよ」
「人間の子供でも喜びそうなおもちゃとかあるなあ、これとか」
それは、全長10センチほどの赤い車のおもちゃである。セダン型の精巧な模型で、おそらく日本車モチーフではない。後ろのトランクが開きそうな感じもする。
「そちらは……おもちゃではありませんのよ?」
「え?」
「イェルハルドの……恋人ですの」
言いにくそうに言われても、よくわからない。だがあんまりこの話題は深堀しないほうがよさそうだと直感した。
それからまた雑談をしたり、デパートで見るお菓子とお茶をいただいたりしていると、ぬるい角度で差す茜色の光がもう帰るべき時間を宣言する。
「もうそろそろ、おいとまだな」
「お見送りいたしますわ」
そういえばベンノさんは雑談をしているうちにどこかへ行ってしまったな、もしかして歩いて帰らなきゃいけないのか?
「……俺はあの男の子で十分銀雪に……」
彼女のお父さんの声だ、おそらくベンノさんに話している。聞き耳を立てつつ、減速することなく素通りする。
「……結婚したいというならその意思を尊重……」
銀雪さんのほうをちらりと見ると、目を見開いている。見たことない表情だ。たぶん、同じことを聞いたのだ。部屋の前を通り過ぎて、顔を見合わせ、すぐお互いに顔をそむける。顔が赤いのは、きっと全部夕焼けのせいだ。
すこし落ち着いて、玄関でベンノさんを待つ。家の近くまで送ってくれるらしい。安心した。
「忘れていましたわ。ドラゴンカーセックスおじさんにもあなたのことを紹介すべきですわね」
は?何?
「ドラゴンカーセックスおじさんですわ」
え?
「ああ……一般の家庭にはあまりいらっしゃらないのですわね……?失礼しましたわ」
そんな庶民には資産的な関係で無理なやつとかじゃなくて絶対いないだろ。や、絶対は言い過ぎにしても呼称としておかしいだろ。何?
「あちらですわ」
中肉中背のおじさんが胸を張ってのしのし歩いてくる。おじさんがその速度で来ると実際かなり怖い。
「俺は認めないからな!ドラゴンカーセックスを理解しない男とは!交際も!結婚も!断じて認めない!」
おじさんはそれだけ言うと、のしのしと足早に去っていった。
「え?」
「彼はわたくしが幼少のころからドラゴンカーセックスについて熱心に教えてくれたのですわ。これは彼なりの矜持なのでしょうね……」
「かっ、家庭教師みたいなこと……?」
「うーん、そうとも言えますけれど、勉強などを教えてくださる方は別にいらっしゃいましてよ」
「まさかドラゴンカーセックス知識オンリーっ……?」
「onlyですわ」
極度の緊張による幻覚か何かを疑ったが、ペットルームにあったあの赤い車の模型、イェルハルドくん、「恋人」の意味、すべてがリアリティをもって完璧に符合してしまった。
気が付くと俺は自宅の前にいた。
「どうすればいい……?どうすればいい……?」
独り言をブツブツつぶやきながら飯を食う。母さんの声もお姉さんの声も脳に入れている隙はない。風呂に入ってまた考える。
自分の気持ちも、何もわからない。いままで考えてこなかった、いや考えようもなかったことだ。自分の性癖を捻じ曲げることと、銀雪さんと付き合うこと。ありえない心の天秤の使い方を強いられている。おぞましい優先順位の決定を成さなければならない。
「よっ、調子どうだ」
「あー、まあまあ」
「なんか悩んでるな?」
A男、さすがのお前でもこれは重いだろうな。河川敷のエロ本で興奮する健全そのものな中学一年生だもんな。
「実は、銀雪さんなんだ」
「ほほー、やっぱり!身分違いの恋、これは大変だぞお~」
(違うんだ、そっちは余裕なんだ)
「お前、銀雪さんち行くって言ってたよな?あれどうだった?もしかして家だと裸族とか?」
(当たらずとも遠からずだけどそのほうが全然マシだったな)
「いや、普通に考えてお堅いから難しいって感じか」
(銀雪さん自身は正直もう突破できるけど尋常じゃない壁があるんだよな)
「やっぱお嬢様って変わったところあるからな~」
「ん~それな~」
「でもあれだぜ、そういうところが逆にイイ!ってやつ、結構いるかもだから、早めにいったほうがいいぜ」
目が開かれる思いだった。
そうだ、何を迷っている。
いくら性癖がねじ曲がろうと、俺は銀雪さんが好きだ。銀雪さんをほかの誰にも取られたくない。これが俺のほんとうの気持ちだ。ドラゴンカーセックスがなんだ。やってやる!
「なるほど、動物の本能的挙動が……誤った認識がむしろその性欲の強さの表現に……」
俺はネットでドラゴンカーセックスを調べた。海外サイトにもあたった。調べに調べ、自分の中にある性欲と対話していった。
「銀雪さん!」
「なにかしら?」
いつもの微笑みで答えてくれる。
「また、銀雪さんの家に遊びに行きたいんだけど、いいかな?」
「ええ、もちろん!」
覚悟を決めた俺はもはやためらいなく銀雪さんを下の名前で呼べる。あとは、直接対決だ。
目の前にはドラゴンカーセックスおじさんがいる。ドラゴンカーセックスおじさんはおもむろに懐から写真を取り出し、こちらに寄越してくる。見たことのないドラゴンカーセックスの画像だった。俺は準備不足を直感したが、そんな焦りより、ただ単純に新しい絵が見れて興奮した。
「素晴らしい才能だな」
ドラゴンカーセックスおじさんがつぶやく。おそらく、鼻息の荒さから見抜いたのだろう。長年指導しているので、きっと演技ではバレる。これは、俺の性癖力の勝利だ。
「ドラゴンに自己を投影するでもなく、車に自己を投影するでもない。そうですね?」
「型もできているようだな、いいだろう、交際を認める」
認められたのだ。銀雪さんへの告白はさっき済ませてOKをもらったので、これで誰の文句もなく付き合えるのだ。
「嬉しいですわ。こんなにも想っていただけるなんて」
俺は銀雪さんのほうを見て目で答える。彼女も、俺がどんな苦悩のうちにあったかを知っている。もう俺を悩ます試練などこの世に無いと自信をもって言える。
「そうしましたら、今度は鎌足君のご両親にご挨拶ですわね」
銀雪さんが上品に笑う。
「ああ、そうだな、父さんと母さんと、あと四肢切断斬首お姉さんにもな」
「今、なんと?」