要するに、賢さと謙虚さを合わせると、必然的に相手に共感しようとし、相手の意図を汲もうとし、優しくなるものだ。
基本的に、自分は性格というものについて、それがあるにせよ、行動傾向であって、すべての行動を決定するほど強力ではないと思っている。つまり賢い人間とか謙虚な人間というのは、まあそうでないときもあるよ。逆も然り。
だから今回は、ある人間が賢さと謙虚さをある1vs1の議論で発揮するとすれば優しくなるもんじゃないかな、そうであってほしいな、そうだったらメリットもあるよ、という話をする。
ストローマン論法というのがある。ご存じかと思う。Wikipediaもある。藁人形論法とも。相手の主張をザコにして、ボコして勝ったことにするという論法である。しばしば誰も主張していない論をボコして勝つみたいなことも指す。
これに対し、対義語があり、スティールマン論法という。鋼鉄人形論法とも。慈悲の原則ともいう。相手の主張を最強にして、勝てたらそのまま勝ち、負けそうなら工夫する、みたいなことだ。メソッドとしてはこれが読みやすい。
賢くなければ実践できない論法でもある。相手の主張を十分最強にできないから。自分の持っている論の弱点を把握できていなかったり。ストローマンになりかねない。
賢くても謙虚でないと、勝てばよかろうなのだになる。論破か説教か。
賢くて謙虚だと、相手の主張に負けないよう自分の論の弱点を把握しようとし、相手の主張の次の一手は何か考える。相手のプレミを期待しないし、ベストな打ち手をしてくるのだと想像することはすなわちスティールマン的である。謙虚さはそれに加えて、相手の主張も正しい部分があろう、と考えることだ。主張して発話したその言葉や表現にこだわらず、もっと違う形で出会っていたなら説得されていたかもしれないと想像する。よりスティールマン的になる。
するとどうなるか、相手の主張から学びを得よう、糧にしようとするような動きになる。そのため、自分の話をするよりも相手の話を聞くことに注力することになる。グッドコミュニケーションの萌芽である。
これは筆者の欲望論の交渉についてとも近い。
欲望と主体について - とふろんが何度も同じことを考えないで済むためのブログ
だから中学生にディベートなんかやらすな、○○の虎とかいうのはクソで目障り、ひろゆきはアホ、まあアホは言い過ぎか、役に立つときはあるわな、たぶん使ってないだけでスティールマン論法の使い手でもあるだろうし、というわけなのだ。