透明人間とは、見ること能わず、しかし何やら動いて何事かをなすもの。薬でなるのか魔法でなるのか、はたまたトリックでなるものか。これは決してミステリーではありませんが、少しだけ考えて読んでいただければいいなと思っております。
茶色のコートにハンチング、数十年前の新聞記者のような恰好の男が一人、車道の途切れた山中をのそのそ歩いていた。
「ほんとうにこんな山ン中にあるんですかねえ。僕はそろそろ不安になってきましたよ」
独り言ではない。彼の懐から一羽のルリコンゴウインコがスウと顔を出し、
「なければ帰るだけだぜ」
と言うと、男はあきれた表情で、
「そりゃあきみは飛んで帰るだろうけど、僕は歩きですからね、夜になったら怖いんですよ山は」
と不平を言った。
「わかったよ、それなら帰りまで一緒だぜ、相棒」
「ほんとうですよ、真剣ですよ、約束ですよ」
「わかったわかった、おまえ、狼のくせにだいぶと臆病じゃないか」
男が帽子を外して軽く湿気を払うと、つややかな白い毛並みと、彼の目元の灰色とも水色ともいえそうな丸い模様が木漏れ日に照った。
「都会の狼には山は合いませんから」
「ありましたねえ」
「あったなあ」
彼らの目の前には門、庭、そして豪華な屋敷があった。ゴシック建築というのか、なんというのかはわからないが、おとぎ話か何かに出てきそうな、絶妙な凹凸造形によって気品を醸し出している邸宅である。
「これは、腕利きの仕事ですよ。しかもこんな山奥だ、資材を運ぶのも麓とはわけが違う。我々を招待したのは、きっと……」
「大金持ち!そうだろ?きっと大粒の揚げ麦を出してくれるぜ」
「きみは食いしん坊ですね、しかし気持ちはわかります」
庭の芝生を二つに分ける薄橙色のタイル道はまっすぐ屋敷に向かって伸び案内している。
「だけど不思議だよなあ、上から見たときは屋敷も庭も、全く見えなかった。金持ちだと姿まで隠せるのか?」
トコトコあるいて、玄関扉にはライオンが輪っかをくわえた形のドアノッカーがあるのが見えた。こういうものは輪っかが少し重たく金属でできており、重厚なる扉を手でノックする代わりにこれを動かしてドアに打ちつけ、来訪を伝えるのである。
であるから、ドアノッカーがガラス製であってはいけない。打ちつければひとたびに割れてしまうし、来客の手を傷つける恐れがある。
「大丈夫か?怪我はないか?手を見せてみろ」
「大丈夫です、手袋をしていました」
「全くふざけた屋敷だな、これで弁償しろなどと言ったら目ン玉突ついてやる」
「まあまあ」
すると、扉がガチャリと音をたて、ゆっくりと開いた。
「ああ、いらっしゃいませ」
出てきたのは普通の執事だった。全く普通で、そうですね、あなたが想像する執事の中で最も普通の、いや登場人物が獣だったから獣の執事のほうが普通だとかそういう余計なことは考えなくていいんですよ、とにかく普通、普通にしていればいいんですよ、なんでそれができないかなあ、普通の執事ってそんなに難しいかなあ、どこが難しいか言ってごらん?イデアがどうとかそういうことを考えるなってだから、自分で問題をややこしくすることばかり得意だね君というやつは。全く。とにかく普通の!執事が出てきたの!
「いらっしゃいませじゃないんだよ!なんだよこれは!」
「はて、どっちのことでしょうか」
「どっちとかじゃねえだろ!」
「いやあのですね、今日お招きいただいて来たんですがね、これ、ドアノッカーが割れましてね」
「大変失礼いたしました。お怪我はありませんか?」
「大丈夫なんですけどね、ちょっと気になってね、なんでガラス製なのかなって」
「そちらはですね、当屋敷の主人風の男のご意向で、『なんか毎回ドアノッカー引っ張ってドア開けちゃうなあ、もうそれ用にしよう、それ用以外で使えないようにガラス製にもしよう』ということになりまして、そうなっております」
「カスだな」
「おっしゃるとおりです」
屋敷に入れてもらい、案内された部屋にはすでに先客が千客いた。
まず目についたのは身長の高いトウガラシ。ただ単に背丈があるだけでなく、オーラのようなものを感じる。壁際で遠くを見るようにぼーっとしている。次にこれまた身長の高いカバ。タキシードを着て歓談している。その周りにリボンを付けたロールペーパーの若い子たちが二人、牛の獣人が一人、鉄パイプが四人、松本人志のスキャンダルで行き場を失った松本人志のモノマネ芸人が二人、プチトマトが5人、いや、皿の上にあるからあれは食べ物のほうだ、訂正。あとカメレオンの男が一人、人間の男が一人、巨乳がいっぱいいて、部屋の九割をゾウが占めている。それから電卓が五人、隠れていて見えなかったが追加で人間の男が三人、白い髪の少女が一人、液状の犬が一体、ワインが五本、失礼、ワインは飲み物だった。また間違えてしまった。それから、時計の頭をした人物が三人、もう列挙したくない気持ちがひとつ。
「……にぎやかだね」
「あのトウガラシ、オレ見たことあるぜ、俳優だよ」
「知りませんね」
「まあオレも演技を見たことはないが、本書いてた。『チリ・アクターと呼ばないで』とかいうタイトルでさ、目を引くやつだからよ」
「なるほど、有名人やお金持ちが集まるパーティーですか、ならなおさら僕たちが招待された理由がわかりませんね」
「さあな、早く説明してほしいぜ」
「キャーッ!」
ブレーキ音とも聞きまごう女性の悲鳴が廊下から聞こえてきた。会場は騒がしくなり、ドタドタ、ドタドタドタドタドタドタドタドタと人々が駆けだす。飲まれるようにして廊下へ出るとそこには、
包丁が刺さった包丁の死体があった。
遺体はローブを身にまとって仰向けとなり、はだけた腹部から包丁が生えているような様子である。
「執事はどこだ!」
「ここでございます、ここでございます、みなさま、何が……」
執事は息をのんだ。
「執事さん、この包丁は誰ですか?」
「こ、これは、当屋敷の主人風の男でございます。ああ、なんと、」
「すぐに救急車を呼ぼう」
「ですがしかし、外は嵐で大雪で橋が落ちて土砂崩れで道がふさがってしかも屋敷のあらゆる出口がロックされています!これでは誰もここに来ることはできません」
「おい嘘だろ!」
客たちは各々窓や玄関に向かい、脱出を試みるがガッチリ閉まっていて開かない。外がさっきの晴天と打って変わって猛吹雪なのも見てとれた。
しかし、執事は落ち着きを取り戻し、
「残念ですが、ここで彼の出産を手伝わざるを得ません」
と言った。
「は?」
主人風の男のほうを見ると、荒く息をして、包丁が伸びている。
つまり、彼を刺した犯人が存在して、それが無数の客の中の誰かで、主人公の狼獣人、博打午後郎(ばくち ごごろう)くんと相棒のルリコンゴウインコのアンラクちゃんとが強力して手がかりをもとにそれを調べ上げて推理して、そうかわかったぞ!となって、関係者を一堂に集め、この中に犯人がいると宣言して、デッケエなんかドアがギーって閉まってCMやって、犯人を当てて、逃げ出したところを追いかけてチェイスして、犯人を崖際に追い詰めて、いいこと言って泣かせて捕縛する、ということはないのであった。屋敷の主人風の男は無性生殖で増えているだけである。
要するに、犯人はそもそも存在しなかったのだった。
おわり。
この物語は死にました。
「こんなのメチャクチャじゃないですか!」
博打くんが叫ぶ。
「だってしょうがないぜ、オレたちの出る幕なんかなかったんだから」
「うう、すべてを見通した雰囲気を出しながら真犯人と会話して真犯人を不安に陥れるやつとかやりたかったのに」
「元気出しなよ、それにまだオレたちの活躍だってあるかもしれないぜ」
「……」
「この作品だって無駄じゃないさ、オレが女の子だってわかって喜んでるやつもいるかもしれない」
「!」
「お前?」
「そうだよ、まだ終わってない!」
「何をするつもりなんだよ?」
「『探偵』をやるのさ。ついてきて。」
「まず、被害者はこの作品そのものだった。スタンダードなミステリーに準えて面白おかしくしようという矢先、この事件が起こったんです」
「あー、オレついていけねえよ」
「だが明らかにおかしなことが起こった、これです」
であるから、ドアノッカーがガラス製であってはいけない。打ちつければひとたびに割れてしまうし、来客の手を傷つける恐れがある。
「ああ、ガラスのドアノッカーのくだりだな、覚えてるぜ、オレもおかしいと思ったよ」
「ええ、ですがそれまでの書き方を見てみましょう」
トコトコあるいて、玄関扉にはライオンが輪っかをくわえた形のドアノッカーがあるのが見えた。こういうものは輪っかが少し重たく金属でできており、重厚なる扉を手でノックする代わりにこれを動かしてドアに打ちつけ、来訪を伝えるのである。
「細かく説明してるなあ」
「そうです、状況を丁寧に説明しています。冒頭部からここまで、ずっと純文学の風体を装おうとしています」
「だがよ、ギャップを生み出すためにはそれくらいのことはするんじゃねえのか?」
「ここまでを読めば、そうかもしれません。ですが次のくだりを読んでください」
出てきたのは普通の執事だった。全く普通で、そうですね、あなたが想像する執事の中で最も普通の、いや登場人物が獣だったから獣の執事のほうが普通だとかそういう余計なことは考えなくていいんですよ、とにかく普通、普通にしていればいいんですよ、なんでそれができないかなあ、普通の執事ってそんなに難しいかなあ、どこが難しいか言ってごらん?イデアがどうとかそういうことを考えるなってだから、自分で問題をややこしくすることばかり得意だね君というやつは。全く。とにかく普通の!執事が出てきたの!
「これは、ひどいな……」
「ええ、明らかに悪意のある文章です」
「作品が被害者だって意味が分かる気がするぜ」
「そうです、そして犯人は作者であることもわかります。その上、作者は作品を通して読者を刺したかったということも窺えます」
「作品を作るってことだから、そういう気持ちはわかるけどよ、でももっとやりようはあったんじゃねえのかなって思うぜ。人がなんか嫌な気持ちになる文章で刺そうなんて、な」
「それ以降の文章は支離滅裂です。なにも意味が解りません」
「おっ、名探偵も匙を投げたか」
「文章の内容がわからなくても、意図を読むことはできます。やってみましょう」
屋敷に入れてもらい、案内された部屋にはすでに先客が千客いた。
まず目についたのは身長の高いトウガラシ。ただ単に背丈があるだけでなく、オーラのようなものを感じる。壁際で遠くを見るようにぼーっとしている。次にこれまた身長の高いカバ。タキシードを着て歓談している。その周りにリボンを付けたロールペーパーの若い子たちが二人、牛の獣人が一人、鉄パイプが四人、松本人志のスキャンダルで行き場を失った松本人志のモノマネ芸人が二人、プチトマトが5人、いや、皿の上にあるからあれは食べ物のほうだ、訂正。あとカメレオンの男が一人、人間の男が一人、巨乳がいっぱいいて、部屋の九割をゾウが占めている。それから電卓が五人、隠れていて見えなかったが追加で人間の男が三人、白い髪の少女が一人、液状の犬が一体、ワインが五本、失礼、ワインは飲み物だった。また間違えてしまった。それから、時計の頭をした人物が三人、もう列挙したくない気持ちがひとつ。
「先客が千客、からだいぶやりたい放題しているな」
「そうです、ですがここに『伏線になるはずだったもの』がいくつかあるのがわかります」
「たとえば?」
「『カメレオンの男』『白い髪の少女』『液状の犬』これらは透明人間の正体としてふさわしそうな感じがあります」
「『トウガラシの俳優』はダメなのか?良く描写されてるぜ」
「あれはダメです、チリ・アクターって言いたかっただけなのが明らかです」
「そうかあ」
「彼らは透明人間の正体、またはそのミスリードとして書かれたに違いありません」
「じゃあその誰かが犯人、ってことか」
「正確には”犯人として描写される予定だった”ということです。ですが、まだ、その候補者がいますよ」
「『執事』か?犯行を行えそうなのはそいつくらいだろ?」
「それは犯人に直接聞いてみましょう」
こんにちは、とふろんと申します。ここまで読んでいただきありがとうございます。
「もう一人の犯人候補って誰だ!」
作品を通さず自分で直接ネタバラシするの恥ずかしいから言いたくありません。
「まあまあ。一つ聞きたいんですが、『屋敷の主人風の男』とかたくなに表記していますね、『主人』ではダメだったのですか?」
ダメでした。そう書く必要があった。
「つまり、ほかに『主人』に当たる人物がいた、そういうわけですね?」
はい。
「わかった、『執事』だろ!」
いいえ。
「キーッ!(威嚇)」
「落ち着いてください。この作品にはヒントが隠されていました。ごくわずかにですが」
「もったいぶるなよ」
「屋敷の主人は、『屋敷』だった」
「は?」
正解です。
「は~~?」
「屋敷の主人であるはずの男が、ずっと屋敷の主人風の男と書かれている。執事はロックされた家を開けられない。あとはみんな客ばかり。そしてその客、とても多様でしょう?」
「そういえば無生物までいたな」
「そうです。であれば、屋敷そのものにも意識が芽生えていてもおかしくありません。我々のように、意識をもって我々が我々自身を主人とするように、屋敷も、屋敷自身を主人とする、ということですよ。だから最後の犯人候補は『屋敷』です」
名探偵でもないと読み解けない文章書いて申し訳ない。
「それはちがいますよ」
励ましてもらえるの?自分の作品の登場人物に?
「私が言いたいのはですね、この作品は、書いていて嫌になって、何度も下書き送りになって、執筆が長期化した結果、ズタズタの支離滅裂になってしまった、ということです」
書いていて涙が出る。
「ひどい話だが、なんだか陳腐だな」
「この事件は、執筆の勢いが足らなかったがゆえに起こった、悲しい事故なのかもしれません」
ここまで読みやがって、この野郎、自分で自分を見つめ直したりするのは一人でやるべきだよ、もう恥ずかしい。帰れ!別の記事でも読んでろ!