歌舞伎の始まりは出雲阿国、泥棒の始まりは石川五右衛門、なんてえ言いますと、狐の始まりはこの者でしょう。
江戸は後期、徳川の家定が治める時代、尾張藩、今でいう岡崎のあたりの山の奥に、豆腐山の論三郎という狐がおりまして、この狐、「化かし」の名手ってんで動物のうちでは名前がよく知られておりました。
西の山へ行けば狐の仲間が担当をつけておもてなしをする、東の森へ行けば狸たちが種の壁を越えて教えを乞いにくる、なんて慕われようだったそうです。
このころは狐も皆、顔が丸く、「くるくる」というかわいらしい鳴き声をしていたんだそうですね。
ある日、近場の山でブイブイ言わせている若い狐が手下を連れて論三郎の巣穴にやってまいりまして、「やい、論三郎、でてこい」なんて呼びますと、論三郎もただではでてやるまいと思いますから、「この野郎め、俺様をなめてやがるな」ってんで大~きな熊に化けて巣穴からバッ、と飛び出した!ぐあおおおう!
若い衆は熊が出たってんでひゃーといって蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまう。しかしその中でじっと立って動かずにいる者が一匹、おそらくは先ほど論三郎を呼んだ者でしょうな、微動だにせず構えている。論三郎もこれには感心したとみえて、「ほほう、おまえはずいぶんと肝っ玉があるようじゃねぇか、名前は何だ」
「……」答えない。
「名乗る名がねえのか」
「……」またもや答えない。
ぴゅうっと風が吹くってえと、その狐、放り出された屏風みてえにぱたり。「なんだコイツ、白目を剥いて泡食ってやがる。はは~ん俺様が出たときからずっと気絶してやがったな。」
そんな有様でありますから、近隣の獣でかなうものはありません。狼が出れば狼を化かす、旅人が通れば旅人を驚かす。何でもかんでもいたずらをしますが、ただ論三郎にも化かさぬと決めた者がおります。論三郎は仏様を厚く信じておりましたので、仏の道を目指す、山伏だけは手を出さぬと決めておりました。
ある夕暮れ、旅人が山の中でうろうろしております。論三郎が遠巻きに見ておりますと、どうやら道に迷ったようで、一つ辛抱、ここいらで野宿でもせねばなるまいという顔つきでありました。
「ううむ、このまま山を進んでしまえば出れなくなる。やはりあきらめて野宿だな。しかし寒くなってきたな。」
木の根にどっかり腰を下ろした旅人は、なぜかまたすぐに立ち上がってどこかへ歩きます。
「おい、そっちのほうは俺様の巣穴じゃねえか?」
「あ~、こんなところにちょうどいい穴がある。ここで用を足すとするか。」
「なっ!冗談じゃねえ!」
すぐに虎に化けて旅人の前に飛び出します。ぐがああぁぁああっ!
旅人、暗闇からとんでもなく大きな獣が飛び出してきたものですからしょんべんまき散らしながら持つもの持たず逃げ出し山中を走り抜けます。
「俺様のねぐらにしょんべんひっかけやがってあいつ許さねぇぞ、どこまでも追ってやる。」ってんで旅人を追っかけていくと、命運は旅人に味方したようで山寺に着きます。
旅人はすぐに駆け込んで僧たちに助けを求めます。
「はぁ、はぁ、助けてくれ、虎に追いかけられてる、でっけえ虎だよ。」
筋骨隆々とした巨体の修験者が答えます。
「虎?異なことですな、この山に虎なぞおりませぬ。」
「じゃあ私が見たのはなんですかい?鵺(ぬえ)なんておっしゃらないでくださいよ。」
「いやいや、おそらくは狐でしょう。この山には論三郎狐という変化の狐がおりますゆえ、きっとその者が。」
「じゃあなんとかなるんですかい?」
「ええ、幸い、かの者はわれわれ修験者や僧には手を出しません。」
がおおおう!
外から虎の鳴き声がします。
「そこに旅人が逃げ込んだであろう。出せ。」
「論三郎狐殿。このような者は駆け込み寺と申しましていかなる悪人も寺で一度は匿わねばならないのです。」
「そうはいかんのだ、出せ。」
「できませぬ。」
「出せ。」
「できませぬ。」
「出せ!」
「できませぬ!」
「もうよい、おまえも旅人もみな食ってやる!」
そう言うと虎の姿がぐにゅぐにゅ伸びはじめ、うろこが生え、瞳は縦に裂け、瞬く間に巨大な大蛇(おろち)となって立ちはだかった。
しゃーーーっ!
巨体の僧に噛みつこうとかかりましたが、一瞬僧が早かった。大蛇の上あごと下あごを両腕でもって締め上げると、大蛇は口を開けません。
「もごもご、やめろぉ!」
大蛇は暴れますが僧侶は手を放しません、それどころかぎゅうぎゅう締め上げていきます。
「ごっ、顔の骨が折れる……」
論三郎狐、たまらず変化を解いて逃げ出します。しばらく走って森の中。
「かあ~っいてててて。くそう、あの怪僧、とんでもねえ力だぁ、俺の顔が尖っちまったじゃねえか……もうこんなところには来~ん!」
「来ん来ん」言っておりましたのが周りの狐に真似られまして狐は「コンコン」鳴く、顔の尖った生き物となったのでした。
どうも、ありがとうございました。