存在の記述方式の提案

こんにちは、とふろんと申します。

哲学的なことをしばらく考えており、最近やっとその熱が落ち着いたので書きたいと思います。

ここで書くことは、存在という概念をいかにして明確に記述するか、曖昧さや矛盾をいかにして包摂するか、という問題に対する道具立てを予定しているが、書いてる途中で変わったらごめん。

1.基本的な前提

ほんとうは、存在という概念の根幹にあたるものを記述するには無前提に論じ始めなければ論理的な循環を生ずるおそれがあるが、んーまあここではよいことにする。(最終的に正当化されるが、この論中で書けない気がする)

そして、日常生活で得るような語彙とか理解力を前提にしたいと思う。通常と異なる運用をする言葉は定義するか適宜修正して用いる。

2.主体・対象・信頼度と、利用可能性信念

根幹におく用語を三つ用意する。

主体・・・自分自身。すなわちあなた自身。あとに出てくる利用可能性信念の主体となるもの。(のちにあらゆるものをあてはめてよくなる)

対象・・・あらゆるもの。人、物体、概念、なんでもよい。

信頼度・・・確率のようなもの、0以上1以下の値をとる。(が、本当にそれだけで足りるかは検討の余地あり)

これらを用いて、利用可能性信念を定める。

利用可能性信念とは、「〇〇(主体)にとって〇〇(対象)は××として利用可能である」というタイプの構文で表される信念で、主体がどれだけその利用可能性信念を信じているかを信頼度で表すものとする。ここでいう利用は、単に道具として使えるということ以上に広義で、「起こりうる」みたいなことも含むことにする。(利用以外のいい感じの言葉がないためこのようなことになっている)××に入る言葉はなんでもよいが、単純で自分が利用可能性の有無を判別しやすくなる言葉がよい。「〇〇(主体)にとって〇〇(対象)は××である」という文も利用可能性信念として書き換えられるので構文自体にこだわらないこととする。

3.存在を記述する

(具体的な対象X)が存在する、ということを肯定・否定可能な文たちに分解していくことを考える。つまり、「自分にとってXは見ることができる」「自分にとってXは食べることができる」「自分にとってXは気に入らない奴に放り投げるものとして利用可能である」のような複数の、無数の判別可能な文に分解していく。具体例としてこれを実際のトマトに適用することを考えると上記の3つの文は信頼度が1に近い値をとるであろう。ここで主張したいのは、あらゆる対象はこのような利用可能性信念の文によってそのすべての性質・効果・意味・価値・役割を記述できるだろう、ということである。

すなわち存在とは、利用可能性の束への変換である。

4.応用(同一性・実在・真理)

4.1.同一性

ふたつの対象が同一であるとは、同じ存在であるということになりそうである。ここにおける記述で考えてみると、すべての利用可能性信念について同じだけ信頼度があるということになる。だが、そのようなものはそれ自身以外にない。時間的位置と空間的位置が同じように認識されうる異なる2つのもの、というものはおそらくないことからもわかる。一方で、2つのマイクが同じであるか、ということを考えると、メーカーと製品の詳細な種類が合っていれば同じものと言えそうだと素朴に思う。それは、同じ機能を期待するからと説明しても悪くなさそうである。片方が壊れて機能しないなら2つは同じものではないと考えることも不自然ではない。厳密には異なるものでありながら、同じものとして扱う場合を考えると、注目している利用可能性があるのではないかと考えられる。マイクであれば、それに期待される特徴的な機能、すなわち音声を電気信号に変えて他の機器に渡す機能が注目され、それが何色でどんな味がするかは重要でないのである。このようにして、利用可能性のうち注目する部分と無視する部分によって同一性を見出したり否定したりできる。

4.2.実在

これこれは本当にこうである、だとか、客観的にこうである、といった表現はいかにして可能か、無意味ではないのか考える。そのために他者および共有という概念を導入する。他者とはいっても単に、自分と異なる利用可能性信念をもつかもしれない他の主体、ぐらいの意味である。共有とは、たとえば2者の間では、お互いに、相手の信じている利用可能性信念を疑似的に自分の中で作り出し、「相手は自分と同じ利用可能性信念を信じているのだ」と信じることである。集団の場合は、集団内の各他者が同じようなことを信じているのだと信じることになる。

「相手と自分は同じことを思っているだろう」と、お互いに思う状況では、もちろん誤解も起こるがそれはここでは気にしないでおく。

さて、実在を定義したいが、狭義のものと広義のものに分けておく。

Aが実在する(実際に存在する)とは、

・(広義)Aの利用可能性の主要な部分について他の主体と共有できる。

・(狭義)広義実在に加え、触れる、見える、など物理学的手法によって観測できるという条件を満たすこと。

会社、学校といった組織は狭義実在ではないが広義実在である。

4.3 真理

真理は、そのまま読めば真である理、となるが、どういうことだろうか。とりあえず「自身にとって真であるとして利用できるような法則」という部分をとらえると、自分というものに付随する時間的な制約や空間的な制約があることがわかる。つまり、物理法則のような”真理”は、「自分が生きている間」「自分の関わる範囲」で正しく利用できれば、「自分の生前・死後」「自分の知りようのない範囲」で正しい真理と区別がつかない。したがって正しく利用できるという点でそれらは同一視される。ここから日常用語的な真理を復元すると、「人類集団において実在的な、真であるとして利用できるような法則」となる。

これを用いて変なことを言うと、「2023年以降、地球(または宇宙)には少なくとも一人の人間が生きている」が真理となる。パラドックスみがある。

5.今後の課題・展望

・ここで述べた考えはもうあるのではないか、という疑念がある。現象学とかでやられてる気がずっとするが、そういうものを読む前に自分の考えをまとめておくことが大事なのでヨシとする。

・役に立つか立たないかのみで物事を判断するように捉えられてしまわないように修正できたらうれしい。

・利用可能性信念をどんどん細かく分けていって、誰にとっても信頼度が明確にできるような基本的な概念のセットはあるだろうか?いやーなさそう。一人の人間でもそういう概念セットはコロコロ変えているだろうし。候補としては、苦痛と快感、とか、五感、とか、直接体験、宗教的信念みたいなものたち。

・もっとたくさんの難しそうな概念を分解したい。意識・定義・表現……とか。

・「なんらかの意味で存在した場合、あなたの背後にペガサスを召喚してくるデーモン」は記述できるのにいかなる意味でも存在しなくなるパラドックスの解決について喋りたい。

 

では、さようなら!